10月のある週末、長野の実家に帰り、きのこ採りに行きました。
子どもの頃、伯父や父に連れられてきのこ山に来ていましたが、熊が出るとか、蛇が出るとか、蛇は車の中まで入ってくるとか正直脅された記憶しかなく、きのこ山といいながらきのこがホイホイ採れた記憶もなく、きのこ採りとは物好きな人のやることだと思っていました。
それが、30数年の熟成期間を経て、今きのこ山ブーム。私の中で。
先日、1年程前に購入してあった園芸用培養土を開封したところ、土の表面が白くなってて中から漂ってきた空気が、山!きのこ山の匂いだーと思ってウズウズしましたよね。なんか。
鮭は匂いをたどって生まれた川に戻ってくるといいますが、土の匂いが私をあの鬱蒼としたきのこ山に呼び寄せるよ。
たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないって言いますもんね。
土に根を下ろし風と共に生きよう・・・って、伊那谷のことだったのね。
さあ、そんなわけで山の民(父)に頼んできのこ山に連れて行ってもらいました。
縄張りを示すはずのビニールひもが風化寸前で来るものを拒まないよ。
山という大自然にビニールひもって目にするたびに興ざめだなと思うんだけれど、他にいい方法ないのかね。
・麻ヒモ(背景に同化して見えなそう)
・派手な色の毛糸(すぐちぎれそう)
・派手な色の毛糸を鎖あみしてロープにする(もったいない)
・レースのリボン(もったいない)
・着古した肌着やシーツなどを裂いて結びロープにする(はずかしい)
・有刺鉄線(人間性を疑われそう)
うーん。ないね。いい方法が。
でも一番効果がありそうなのはレースのリボンかな。無断で山に入ろうとしている人間も、レースのリボンで囲われているのを見たら、どんな可憐な少女が山を管理しているかって思ってしまうよね。
思わないか。
とにかく、敷地にロープが張られてあろうとなかろうと構わず入ってくる人はいるらしいので、貴重な時間を費やして東京からやってきている私がそんな連中に先手をうたれるわけには断じていかず、誰よりも早く行くという作戦で私たちはきのこ山へ向かいました。名づけて「早起き」です。
改めて確認しますけど、あれ? 山ってこんなに急でしたっけ? てくらい急な斜面がそこにはあって、普段海抜0メートルのまっ平らな場所に住んでいる私が立ちはだかる山肌におののいていると、山の民(父)はすいすいぐいぐいと登っていくのです。ひょっとして元忍者? 夏に氷を運んだという飛脚の子孫とか? 飛脚の子孫だったら私も子孫か、おかしいな。ブツブツ。
そうこうするうちに、すでに姿の見えなくなった元忍者が「おーい」と呼ぶので、息切れしつつ登っていくと頭を出したきのこが。
こもそうでした。
「こもそう」、うすうすこの地域特有の呼び名だろうなとは思っていましたが、調べたら「ショウゲンジ」っていうんだそうよ。(wikipediaより)
こもそう、とてもきれいな状態で採れました。
チョコレートがけして食べられそうなかわいさじゃない?(やってみろ)
こもそうで喜んでいる場合じゃないの。私は松茸を採りに来たのですよ。松茸ハンターよ。
松茸はね、食べるよりも採ることに意義があるのです。
そして、できれば自分で見つけて採りたい。
松茸といえば、みつけるのが難しくて
「そこに生えてるぞ」
「え? どこどこ?(見えない) どこ~?(ぜんぜんわからない)」
っていうのが定番なのですが、この壁を乗り越えたいっていうか。早く人間になりたいっていうか。
松茸よ、その挑戦、受けて立とう! っていう隠れテーマが今回の帰省にはあって、あ、大げさ?
そういうわけで、密かに闘志を燃やしているところに、父が「今日はだめだなあ。ずっと雨が降ってないから山が乾いちゃってて」なんて言うのです。なんてこった。
見つけにくいだけでなく、山が乾いてて生えてないかもというさらなる障壁が~。
そんな中、見つけたのはこんなきのこ。
赤に水玉って。これぞ絵本に出てきそうなきのこではないですか。
毒きのこです。
(もう疲れてたからかピントが合ってない。)
頂上についても木ばっかりで見晴らしが良いわけでもなく、故に景色を楽しむこともなく、ヤッホーと叫ぶこともなく。
もくもくと、ただもくもくときのこを探しているのですが、ふと、山を登っていると目線が山に合ってくるみたいな話を、小沢君がドゥワッチャライクで書いてたっけな、いや、モーちゃんが言ってたのかな。いや大槻ケンヂだったっけ? うーん。いずれにせよ、私今それ、その状態に近いかな。ドゥワッチャライクのキリヌキどこやったかな。
てなことを考えながら、地面を注意深く見つつ山を下っていたそのとき、私は見つけました。
地面の松葉が、ぽこっとふくらんでいるのを。
こ、これが伝説の・・・!
きのこ自体は見えないけど地面がふくらんでるからわかると、きのこ名人たちが語るあの状態!
あの状態~!
あ、生えてるところ写真撮る前に採っちゃった。
松茸と、松茸が生えていた穴(左上)です。
↑ 松茸が生えていた場所。
↑ 松茸が生えていた場所から見えた景色。
父が採ったきのこと合わせて、東京に持って帰ってきました。
洗っちゃいけないっていうんだけど、洗わずにはいられないよ。ささっとね。
松茸は焼いてしょうゆをたらして、こもそうはバター炒めです。
カナダでは、森にぼんぼん松茸が生えていて、あ、あった! ここにも、あそこにも! って採ってたのをテレビでちらっと見たんだけど、見なかったことにしようね。
子どもの頃、伯父や父に連れられてきのこ山に来ていましたが、熊が出るとか、蛇が出るとか、蛇は車の中まで入ってくるとか正直脅された記憶しかなく、きのこ山といいながらきのこがホイホイ採れた記憶もなく、きのこ採りとは物好きな人のやることだと思っていました。
それが、30数年の熟成期間を経て、今きのこ山ブーム。私の中で。
先日、1年程前に購入してあった園芸用培養土を開封したところ、土の表面が白くなってて中から漂ってきた空気が、山!きのこ山の匂いだーと思ってウズウズしましたよね。なんか。
鮭は匂いをたどって生まれた川に戻ってくるといいますが、土の匂いが私をあの鬱蒼としたきのこ山に呼び寄せるよ。
たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないって言いますもんね。
土に根を下ろし風と共に生きよう・・・って、伊那谷のことだったのね。
さあ、そんなわけで山の民(父)に頼んできのこ山に連れて行ってもらいました。
縄張りを示すはずのビニールひもが風化寸前で来るものを拒まないよ。
山という大自然にビニールひもって目にするたびに興ざめだなと思うんだけれど、他にいい方法ないのかね。
・麻ヒモ(背景に同化して見えなそう)
・派手な色の毛糸(すぐちぎれそう)
・派手な色の毛糸を鎖あみしてロープにする(もったいない)
・レースのリボン(もったいない)
・着古した肌着やシーツなどを裂いて結びロープにする(はずかしい)
・有刺鉄線(人間性を疑われそう)
うーん。ないね。いい方法が。
でも一番効果がありそうなのはレースのリボンかな。無断で山に入ろうとしている人間も、レースのリボンで囲われているのを見たら、どんな可憐な少女が山を管理しているかって思ってしまうよね。
思わないか。
とにかく、敷地にロープが張られてあろうとなかろうと構わず入ってくる人はいるらしいので、貴重な時間を費やして東京からやってきている私がそんな連中に先手をうたれるわけには断じていかず、誰よりも早く行くという作戦で私たちはきのこ山へ向かいました。名づけて「早起き」です。
改めて確認しますけど、あれ? 山ってこんなに急でしたっけ? てくらい急な斜面がそこにはあって、普段海抜0メートルのまっ平らな場所に住んでいる私が立ちはだかる山肌におののいていると、山の民(父)はすいすいぐいぐいと登っていくのです。ひょっとして元忍者? 夏に氷を運んだという飛脚の子孫とか? 飛脚の子孫だったら私も子孫か、おかしいな。ブツブツ。
そうこうするうちに、すでに姿の見えなくなった元忍者が「おーい」と呼ぶので、息切れしつつ登っていくと頭を出したきのこが。
こもそうでした。
「こもそう」、うすうすこの地域特有の呼び名だろうなとは思っていましたが、調べたら「ショウゲンジ」っていうんだそうよ。(wikipediaより)
こもそう、とてもきれいな状態で採れました。
チョコレートがけして食べられそうなかわいさじゃない?(やってみろ)
こもそうで喜んでいる場合じゃないの。私は松茸を採りに来たのですよ。松茸ハンターよ。
松茸はね、食べるよりも採ることに意義があるのです。
そして、できれば自分で見つけて採りたい。
松茸といえば、みつけるのが難しくて
「そこに生えてるぞ」
「え? どこどこ?(見えない) どこ~?(ぜんぜんわからない)」
っていうのが定番なのですが、この壁を乗り越えたいっていうか。早く人間になりたいっていうか。
松茸よ、その挑戦、受けて立とう! っていう隠れテーマが今回の帰省にはあって、あ、大げさ?
そういうわけで、密かに闘志を燃やしているところに、父が「今日はだめだなあ。ずっと雨が降ってないから山が乾いちゃってて」なんて言うのです。なんてこった。
見つけにくいだけでなく、山が乾いてて生えてないかもというさらなる障壁が~。
そんな中、見つけたのはこんなきのこ。
赤に水玉って。これぞ絵本に出てきそうなきのこではないですか。
毒きのこです。
(もう疲れてたからかピントが合ってない。)
頂上についても木ばっかりで見晴らしが良いわけでもなく、故に景色を楽しむこともなく、ヤッホーと叫ぶこともなく。
もくもくと、ただもくもくときのこを探しているのですが、ふと、山を登っていると目線が山に合ってくるみたいな話を、小沢君がドゥワッチャライクで書いてたっけな、いや、モーちゃんが言ってたのかな。いや大槻ケンヂだったっけ? うーん。いずれにせよ、私今それ、その状態に近いかな。ドゥワッチャライクのキリヌキどこやったかな。
てなことを考えながら、地面を注意深く見つつ山を下っていたそのとき、私は見つけました。
地面の松葉が、ぽこっとふくらんでいるのを。
こ、これが伝説の・・・!
きのこ自体は見えないけど地面がふくらんでるからわかると、きのこ名人たちが語るあの状態!
あの状態~!
あ、生えてるところ写真撮る前に採っちゃった。
松茸と、松茸が生えていた穴(左上)です。
↑ 松茸が生えていた場所。
↑ 松茸が生えていた場所から見えた景色。
(しつこい?)
こうして、自力で松茸を採るという難題を今年克服することができました。
こうして、自力で松茸を採るという難題を今年克服することができました。
名づけて、木を見て森を見ず、地面を触りまくる作戦。またの名を「ザ・執念」。
↑ 私のびくの中身。
・・・量より質なのよね。
・・・量より質なのよね。
父が採ったきのこと合わせて、東京に持って帰ってきました。
洗っちゃいけないっていうんだけど、洗わずにはいられないよ。ささっとね。
松茸は焼いてしょうゆをたらして、こもそうはバター炒めです。
カナダでは、森にぼんぼん松茸が生えていて、あ、あった! ここにも、あそこにも! って採ってたのをテレビでちらっと見たんだけど、見なかったことにしようね。
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